名古屋市中央卸売市場の
成り立ち
熱田魚市場の起源は定かではないが、もともと現在の熱田区神戸町より南は海となっていて、付近には七里の渡しがあり人の往来も盛んであったと思われ、その海辺に小屋を作って魚類の集散を行っていたものが後の魚市場に発展したものと考えられる。
魚市場には問屋のほかに仲買と小座(一般の小売商)があって、魚類は荷主から問屋に渡り、問屋は競売により仲買に渡し、仲買はこれを小座に販売していた。問屋は藩の特許に基づき経営をしていたので、熱田付近での魚類売買を独占しており、漁民は獲れた魚を必ず市場で売買しなければならず、問屋を経ずに売買する事を禁止されていた。
そのかわり問屋は毎年定額の運上金を藩へ納めなければならなかった。
天保3年(1832)頃から漁民が捕獲した魚を買回り船で買い回り、市場へ回船して問屋へ売ることを業とする者が現れて大いに繁盛することとなった。更には押し送り船と称する業者が登場し、遠国の魚類を買収して問屋に送り届ける方法をとるにいたった。こうしたことにより熱田魚市場には尾張、三河、志摩、伊勢、紀伊、駿河、遠江などからいろいろな魚が集まるようになっていった。-名古屋市中央卸売市場50年誌より-